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東京地方裁判所 昭和30年(ソ)17号 決定

抗告人 中央実業株式会社

相手方 株式会社東光ホテル 外一名

主文

原決定を取消す。

本件を新宿簡易裁判所に差戻す。

理由

本件抗告理由の要旨は、相手方等は東京法務局所属公証人増田沖三作成の第四七六号、第五〇九一号、第五〇九五号、第五〇九六号の各公正証書に基き抗告人に対して負担する金銭債務につき、新宿簡易裁判所に調停の申立をなし、(同裁判所昭和三十年(ノ)第四十八号)且つ昭和三十年三月十五日同裁判所に対し、該公正証書を債務名義とする強制執行の停止を申請(同裁判所昭和三十年(サ)第百三十五号)したところ、同裁判所は同年三月十六日相手方等に対して保証として金十万円の供託を命じ、その供託があつたとして同日抗告人の右債務名義に基く強制執行は前記調停事件終了に至る迄停止する旨の決定をなし、該決定は同年同月十八日抗告人に送達された。しかしながら右決定は次の点で失当である。即ち(一)前記五通の公正証書中第四七六号以外の四通に基く相手方等の各債務は、相手方等が分割弁済を怠つたことにより何れも昭和二十九年十月末日、残り一通即ち第四七六号の債務については昭和三十年二月十六日、夫々その弁済期が到来したが相手方等は全く返済に応じなかつた。それにも拘らず、抗告人は相手方等の懇願を容れて直ちに強制執行を開始せず、支払を猶予する代償として相手方等所有の不動産に抵当権の設定を求めたが相手方等の容れるところとならず、結局相手方等との話合によりその所有する動産に対して執行することとし、同年三月九日照査手続による配当要求をしたところ、相手方等はその所有する不動産に対する執行を免れる目的で、前叙の如く本件強制執行停止の申請に及び、その旨の決定を得たものであるが、かくの如き執行停止の決定は従来穏便な処置を取り来つた抗告人を憤激させ、却つて調停の成立を困難ならしめるものであるから、相手方等の本件執行停止申請を却下すべきであるのにこれを許容した原決定は失当たるを免れず、仍つて原決定の取消及び相手方等の本件強利執行停止申請の却下を求めるものである。

(二) 仮に相手方等の本件申請は理由があるとしても、原決定は相手方等代理人伊藤利夫が第三者として保証金を供託したことをもつて担保の提供があつたものと認めたものであるが、かくの如き執行停止決定に当り債務者に担保を提供させる法意を全く無視したものである。何となれば強制執行停止決定のため提供される担保は、執行停止によつて債権者の蒙ることあるべき損害を補填する目的で提供されるものであるところ、債権者は現実に蒙つた損害を立証することは困難を伴うため、実際には債権者は債務者の国家に対して有する保証金取戻請求権を、本来の債務名義で右請求権を差押えることによりその不便を克服しているのである。然るに第三者を担保提供者とする場合には右取戻請求権は第三者の有するところであるから債権者は本来の債務名義に基く差押の方法を取ることができず、かくては債権者の保護に著しく欠け、担保提供の法意を没却すべきこと論を俟たない。従つて原決定は違法であり、又かりに違法でないとしても債権者の利益を不当に侵害するものであるといわねばならない。以上の理由により本件抗告に及ぶと謂うにある。

仍つて按ずるに原決定は相手方等の申立に基き、民事調停規則第六条第一項の規定により抗告人の相手方等に対する公正証書五通の執行力ある正本に基く強制執行の停止を命じたものであることは、本件記録に照し明らかなところである。

そこで先ず、本件について民事調停規則第六条第一項に定める強制執行停止の要件が備わつているか否かにつき按ずるに、本件記録によれば、相手方等は抗告人に対し債務履行の意思を有し、将来これが実行の可能性もなくはないが、現在直ちに本件債務名義に基いて強制執行がなされる場合には相手方等の経済活動等を危うくする虞れが多分にあることが看取され、その他本件記録に徴して察知せられる当事者双方の地位、本件公正証書に基く金銭消費貸借の内容その他諸般の事情を綜合考察するときは、本件当事者間の紛争は調停により解決することが相当であり、且つ又調停の目的である権利が本件の如く金銭債権である場合において、抗告人が一旦強制執行により権利の終局的満足を得てしまつたとなれば、本件当事者間に調停の成立は不能になるか又は少くとも著しくそれが困難となることは、これを察するに余りあるものというべきである。

抗告人は本件執行停止決定は従来協調的態度を持していた抗告人を憤激させ、却つて調停成立を困難ならしめる旨主張するがこのことはむしろ本件当事者間の紛争を調停により解決することについて既に相当な困難を伴うべきことを予測せしめるとともに、抗告人の相手方等に対する強制執行が完了するにおいては益々その困難性を増大すべきことを裏付けることになりこそすれ、叙上の認定をさせるものとは解し難いのである。

してみれば相手方等の本件強制執行停止申請を理由があると認めた原決定は、この点に関する限りは正当であり、右申請が理由のないものとしてこれが却下を求める抗告人の主張は失当である。

そこで次に原決定が担保の提供を命ぜられた相手方等以外の第三者において保証金を供託したことに基いて強制執行の停止を命じたことの適否につき判断するに、本件記録に照すと、相手方等は昭和三十年三月十五日弁護士大政満、伊藤利夫及び鈴木亮を代理人として原裁判所に強制執行停止の申請をなし、翌十六日同裁判所は相手方等に対し金十万円の担保提供を命じたところ、同日右伊藤利夫において、右金額を供託し、これに基き原裁判所は原決定をした事実を認めることができる。そして前記の如く伊藤利夫は本件執行停止申請の代理人の一人ではあるが、同人の右担保提供は相手方等の代理人としてこれをしたものとは到底解し得ないことは、本件記録中の同人から原裁判所に提出した「納付書」と題する書面に徴して疑のないところであるから、伊藤利夫は第三者として自己の名において右供託をしたものと認める外なく、畢竟原決定は第三者による担保提供に基き抗告人に対し強制執行の停止を命じたものといわねばならない。

民事調停規則第六条第一項により、調停事件の係属中強制執行の停止を命ずるについては、担保を立てさせることがその前提要件であり、その担保については、同条第三項の規定により民事訴訟法第百十二条、第百十三条、第百十五条及び第百十六条の規定が準用されているところから観るときはこの場合における担保は、強制執行停止を命ぜられた者がこれにより蒙ることあるべき損害についての賠償請求権を担保すべきものであつて、担保の提供は、一般的には金銭又は裁判所が相当と認める有価証券を供託する方法によつてこれをなすのであるが、若し当事者が別段の契約をしたときはその契約によるべく、担保権者は、前者の場合においては供託された金銭又は有価証券の上に質権者と同一の権利を有するものであるが、後者の場合においては担保権者が如何なる権利を有するかは、専ら当事者の契約の定めるところに委ねられているのである。そして前者の場合において担保権者がその上に質権者と同一の権利を有するとされる供託物は、裁判所より担保を提供すべきことを命ぜられた者の供託にかかるものに限られていることは疑のないところであるから、若し、その者以外の第三者が金銭又は有価証券を供託したことがあつたとしても、担保権者はその供託物の上に当然には叙上の如き権利を有し得ることにならないのである。たゞこの場合当該第三者と担保の提供を受くべき権利者との間に、右第三者による担保の提供について契約が成立したときにのみ、その定めるところにより担保権者はその担保物の上に権利を行使し得るに止まるものと解すべきである。然りとすれば第三者が担保権者との合意に基くことなく担保を提供した場合において、強制執行の停止により担保権者の蒙ることあるべき損害についてはこれを担保すべき何物も存しないことになる筋合であるから、かような場合においては民事調停規則第六条第一項が強制執行停止の前提要件と定めている担保の提供がないことに帰するものといわなければならないのである。

これを本件についてみるに、抗告人の相手方等に対する強制執行を停止するについての担保として、原裁判所が相手方等に供託を命じた金十万円を、伊藤利夫が第三者として供託することについて抗告人との間に合意が成立した事実はこれを認め得る何等の資料もないのであるから、原決定は適法な担保の提供がないまま抗告人に対し強制執行の停止を命じたものとして違法たるを免れず、本件抗告はこの点において理由があるものとすべきである。

仍つて民事訴訟法第四百十四条第三百八十九条により原決定を取消し原裁判所に差戻すべきものとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 桑原正憲 田中正一 可知鴻平)

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